遂にこの時が来たかという感じ。
村上春樹の処女作読みました。短かったので僕ですら数日で読み終わった(数日もかかりました…)。
村上春樹の作品ってなんか難しいイメージで、読むのは大人になってからでいいやと先延ばしにしていたが、社会人になる前に読んでおこうと思いkindleで購入した。
初めは何がなんだかわけわからなく読み進めていた。一体これは物語なのか、彼自身のことを書いているのか。そしてそれは最後までよくわかっていない。読みづらさも感じた。
登場人物たちも実際の世界であったら、めんどくさと感じてしまうような少し癖の強い人ばかりだったが、これが活字で読むとその人の印象を自分でイメージしていくことができるから、個性的で魅力的になっていく。
思ったことは、人って無駄なこだわりとかが個性となっていくんだろうということ。一見無駄とか人がわざわざやらないこととか、そういうことが人との違いを生む。個性は相対的な判断でしかなく、人がやらないことをやることでしか出せない。そんな風に感じた。なんでだろう?
本をまた読み始めてから、活字の魅力を感じ始めている。普段、映像ばかりを見ているが、視覚情報は一意的なことが多く、想像することは少ないが、本の物語は常に自分の頭の中で繰り広げられる。これが本の魅力であり、読書は人が考えること、想像することを続ける一つの方法である。
「彼女はテーブルに細い両肘をつき、その上に気持良さそうに顎を載せたまま僕の目をのぞきこむようにしてしゃべった。」(風の歌を聴け より)
一見普通の描写だが、これを実際に見るのと想像するとでは、また違った印象を持つのではないか。